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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)11942号 判決

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告伊藤昌孝に対し金五、一〇〇、〇〇〇円および内金四、六〇〇、〇〇〇円に対する昭和四二年一一月六日から、内金五〇〇、〇〇〇円に対する昭和四八年二月一日からいずれも完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は原告庄子隆子に対し金四、九〇〇、〇〇〇円および内金四、四〇〇、〇〇〇円に対する昭和四二年一一月六日から、内金五〇〇、〇〇〇円に対する昭和四八年二月一日からいずれも完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第一、二項につき仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告東京都の公務員である訴外田島満利子は、昭和四二年一一月四日午前一一時ころ、東京都赤羽保健所において、訴外伊藤雄一(昭和四一年一〇月二四日生)に対し、インフルエンザ予防接種を実施した。

2  訴外伊藤雄一は、右予防接種の翌日である同月五日午前七時過ごろ、死亡した。

3(一)  訴外伊藤雄一の死因は間質性肺炎および瀘胞性大小腸炎である。

(二)  右訴外人は、右予防接種一週間くらい前から間質性肺炎および瀘胞性大小腸炎に罹患しており、それは中等度ないし高度なものであつた。右予防接種により右各疾病の症状が亢進し、その結果、死に至つたものである。

4(一)(1) インフルエンザ予防接種を実施する者は、予防接種実施規則四条によりその接種前において、被接種者に対し、問診、体温測定、視診、聴診、打診等の予診を行つてその健康状態を調べ、予防接種を行うことが適当であるか否かを判断し、判定困難な場合には当日の接種を中止すべき義務がある。

(2) しかるに訴外田島満利子は本件予防接種を実施するに際し、保護者(原告庄子隆子)に対し訴外雄一の健康状態を確めるための問診も行わず、かつ、訴外雄一に対しても体温測定、視診、聴診、打診を行わず、単に訴外雄一の年令について質問しただけで直ちに予防接種を行つた。仮に訴外田島が右各予診義務を尽していたならば、訴外雄一の前記疾病による肺の呼吸音の異常(ラツセル音)を確認でき、予防接種の実施は不適当としてこれを中止しえたはずであるから、訴外田島には、右各予診義務を怠つた過失がある。

(二)(1) 訴外山崎悦は、赤羽保健所長として被告東京都の公務員である。

(2) 右訴外人は、インフルエンザ予防接種の実施にあたつては会場内の予診・接種場所を少くとも天幕等で他の部分と区画して被接種者の泣声等の騒音を遮断し、かつ、接種人員の人員制限をするなどの措置を行つて、各接種担当者が前記予診義務を遵守するよう監督すべき義務がある。

(3) しかるに右訴外人は、何ら会場の整備をせず短時間に多数の被接種者を一堂に集め、かつ、予診を全く行わず接種を実施させたから、右訴外人には過失がある。

5(一)  本件予防接種は予防接種法に基き行われたものであつて、被告の公権力の行使として被告の公務員である訴外田島、同山崎が、その職務を行うについて、実施したものである。

(二)  仮に右主張が認められないとしても、訴外田島、同山崎は被告の被用者であり、被告の業務の執行として本件予防接種を行つたものである。

6  原告らは被告の本件不法行為により次のとおり損害を豪つた。

(一)(1) 訴外雄一は昭和四一年一〇月二四日生の男子であるから、本件事故がなければなお六七年の余命を有し、少くとも満一九才以後満六二才までの間、通常の企業に雇用されて労働することができた。

(2) 右の期間内における右訴外人の月間収入額は別表月間収入欄のとおりであり、年間特別収入額は同表年間特別収入欄のとおりであるから、年間収入額は同表年間収入欄のとおりである。これから生活費として年間収入額の二分の一を控除した年間純収入額は、同表年間純収入欄のとおりである。

(3) 従つて、ホフマン式計算法

〈省略〉

に従い年五分の割合による中間利息を控除し、右訴外人の得べかりし利益の現在価額を求めると、金七、〇三六、二三五円である。

(二) 訴外雄一は、満一才余にして、本件予防接種によりその疾病を亢進させられ、その苦痛を訴えるすべも知らず貴重な生命を一時にして断たれた。これによつて右訴外人は甚大な精神的苦痛を蒙つたが、右苦痛は金八〇〇、〇〇〇円をもつて慰謝されるべきである。

(三) 原告らは訴外雄一の父母であり、昭和四二年一一月五日、右訴外人の死亡によりその財産上の地位を承継した。

(四) 原告伊藤昌孝は、訴外雄一の葬儀費用として金二〇〇、〇〇〇円を支出した。

(五) 訴外雄一は原告らの長男であり、また未熟児であつたので、普通児以上にその育成に精魂を傾けてきたのであり、また同時にその成長を楽しみにし、その将来に多くの希望を託していた。従つて原告らは右訴外人の死亡により甚大なる精神的打撃をうけ、さらに本件事故に起因して原告らの協議離婚、原告昌孝の失職等の事態が発生し、原告らの家庭は破壊された。かかる事情を考慮すると、原告らの精神的損害は各自金一、〇〇〇、〇〇〇円をもつて慰謝されるべきである。

よつて被告に対し原告伊藤昌孝は合計金五、一一八、一一七円、同庄子隆子は金四、九一八、一一七円の各損害賠償請求権を有するところ原告伊藤は金五、一〇〇、〇〇〇円および内金四、六〇〇、〇〇〇円に対する本件不法行為後の日である昭和四二年一一月六日から、内金五〇〇、〇〇〇円に対する昭和四八年二月一日からいずれも完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の、原告庄子は、金四、九〇〇、〇〇〇円および内金四、四〇〇、〇〇〇円に対する昭和四二年一一月六日から、内金五〇〇、〇〇〇円に対する昭和四八年二月一日からいずれも完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3のうち(一)の事実は認める。(二)の事実のうち前段は認め、後段は否認する。

4(一)  同4(一)(1)は否認する。(後記のように、本件は勧奨接種であり、予防接種実施規則四条は、勧奨接種には適用がなく、仮に準用があるとしても必ずしもその全ての方法を採用することを義務づけたものではない。)

同4(一)(2)の事実は否認する。(訴外田島は、訴外雄一の顔と腕を見て健康および栄養状態を知り、年令を聞いて発育状態を知り、保護者に問診し、腕の上膊部をつかんで触診して体温を概測し、そのうえで通常の接種量の二分の一の量を接種した。従つて訴外田島には過失はない。)

(二)  同4(二)(1)の事実は認める。

同4(二)(2)および(3)は否認する。(本件予防接種の実施室の入口および室内には、「インフルエンザ予防注射のご注意」という注意書を掲示し、予防接種を受けられない健康状態を知らせ、かつ受付においても質問があれば禁忌条項該当者は予防接種を受けられない旨説明している。なお、訴外雄一が接種をうけた午前一一時ころは予防接種も終りに近く会場は混雑していなかつた。その他の事情は前記(一)記載の否認の事情と同旨である。)

5(一)  同5(一)の事実は否認する。(本件予防接種は予防接種法により接種を強制される強制接種ではなく、希望者に対し有料で実施される勧奨接種である。但し料金については便宜上中学生以下の全対象者を無料にした。)

(二)  同5(二)の事実は認める。

6  同6のうち訴外雄一の生年月日および(三)の事実は認める。その余は不知。

三  抗 弁

1(一)  原告らは、訴外雄一の父母として右訴外人を養育すべき義務があつたところ、右訴外人の死亡により養育費の支出を免れた。これにより原告らの請求額から控除されるべき金額は、右訴外人が満一八才に達するまで一か月あたり金一〇、〇〇〇円が相当である。

(二)  訴外雄一は、死亡により満五五才以後の自己の生活費の支出を免れた。これにより原告らの請求額から控除されるべき金額は一か月あたり金三五、〇〇〇円が相当である。

2(一)  訴外雄一は本件接種当時満一才であり、その出生時において、体重一六五〇グラム、身長四六センチメートル、胸囲二九センチメートルの未熟児であり、本件接種の前日に約四時間の自動車による外出をし、接種当日は軟便の状態であつた。

(二)  従つて原告らは、本件接種に際して右訴外人の健康状態を訴外田島に申出るべきであつたのにこれを怠つたのであるから、原告らにも過失がある。

3  被告は、原告らに対し、次のとおり弔慰金を支給した。

(一) 昭和四六年七月一四日、予防接種による健康障害者等に対する見舞金等の支給に関する条例(昭和四五年東京都条例第一四五号)に基き各自金一、〇〇〇、〇〇〇円宛。

(二) 昭和四七年三月三〇日、国の予防接種事故に対する措置運営要領(昭和四五年九月二八日付厚生省発衛第一四五号各都道府県知事あて厚生事務次官通知)第四の三に基き各自金一、三五〇、〇〇〇円宛。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1(一)、(二)の事実は否認する。

2  同2(一)の事実は認める。(二)の事実は否認する。

3  同3の事実は認める。

第三  証拠(省略)

理由

一  請求原因1、2、3(一)(二)前段の各事実については当事者間に争いがない。

二  同3(二)後段の事実はしばらく措き、同4(一)について判断する。

1  甲第四号証(成立に争いない)、原告伊藤昌孝、同庄子隆子の各本人尋問の結果を総合すれば、訴外伊藤雄一は、昭和四一年一〇月二四日出生し(この点については当事者間に争いない)、出生時の体重は一、六五〇グラムであつていわゆる未熟児であり、訴外柿崎病院に約二か月間入院していたが、その後は出生後三か月目の昭和四二年一月二四日には体重四、五〇〇グラム、同月三一日には体重四、七〇〇グラム、同年七月二五日には体重九、二〇〇グラムと順調に発育していたこと、その間、軽度の火傷、軽度の気管支炎、種痘による発熱等の症状で訴外柿崎病院で数回治療をうけたほかは、特に身体的な異常は認められなかつたこと、本件予防接種前一週間くらいの間も、接種前日にやや軟便であつたほかは身体的な異常は認められなかつたこと、本件予防接種後、原告庄子は直ちに訴外雄一を自宅に連れ帰り、午後三時ころまで就寝させ、三時ころに授乳をしてその後七時ころ夕食をさせ、就寝させたこと、午後一一時三〇分ころ原告伊藤が帰宅したとき訴外雄一は一旦起きたが、原告庄子は訴外雄一に暖めた牛乳一本弱を飲ませ、零時三〇分ころ再び就寝させたこと、その間訴外雄一には何ら身体的な異常は認められなかつたこと、その後就寝中に二度泣いたがこれをあやしたところ翌朝まで寝ていたこと、翌朝午前八時ころ朝食をとらせるため原告伊藤が訴外雄一を抱きおこしたところ雄一の様子が異常であることに気づき、直ちに訴外塩谷病院にかけつけ診察を依頼したところ、既に死亡している旨診断されたこと、その直後訴外柿崎病院に連れていつたところやはり死亡している旨診断されたこと、以上の事実が認められる。

2  証人河野林、同木村三生夫の各証言、鑑定人福見秀雄、同木村三生夫の各鑑定の結果を総合すると、間質性肺炎に罹患した場合、外部的症状は全くあらわれないか、または時に微熱および咳嗽が見られることがある程度であり、また、瀘胞性大小腸炎に罹患した場合も外部的症状は下痢が主であり、その他、時に嘔吐および食欲不振などが加わることもあるが、下痢のない場合もあり、専門医師であつても外部的所見からは、到底、右各疾病を発見し難いことを認めることができる。原告は、間質性肺炎に罹患している場合においては聴診によりラツセル音を確知しうる旨主張するが、本件全証拠によつても右主張に副う事実を認定することはできない。(証人木村三生夫の証言中には、右主張に副うかの如き供述がみられないではないが、その全体の趣旨を考察し、かつ、同人の鑑定の結果と比較対照するときは、むしろ反対趣旨の証言とみることができる。)そして、本件において、訴外雄一について右のような微熱、下痢等の症状があらわれていなかつたことは前記1認定のとおりである。従つて、本件は、訴外田島において、訴外雄一に対し、体温測定、視診、聴診、打診を行つても、間質性肺炎および瀘胞性大小腸炎の存在を推認しえず、従つて予防接種をすればその結果として何らかの副作用を生ずるかも知れないことを認識しえなかつた場合に属するのである。

過失とは注意義務の懈怠であるが、その前提として、注意義務の存在することおよび注意義務をつくせば違法な結果を避け得たであろうという予見可能性が存在することが必要である。本件では、右のように、体温測定、視診、聴診、打診については、結果に対する予見可能性がなかつたのであるから、これらの注意義務が存在するか否か又はそれをつくしたか否かにかかわりなく、訴外田島の過失責任を問うことはできないものと解すべきである。

(なお、前掲各証拠によれば、間質性肺炎はレントゲン撮影によつて、瀘胞性大小腸炎は局所の細胞をとつて調べる生検によつてそれぞれ判明することがありうることが認められるが、インフルエンザ予防接種を行う医師において、右レントゲン撮影または生検を行う義務はないと言うべきである。)

3  次に、問診について判断する。本件のような幼児に対するインフルエンザ予防接種において、担当医師として被接種者が何らかの禁忌症状を有するかどうかを認識する最も直接かつ簡便な方法は保護者に対して幼児の身体的異常の有無について発問するいわゆる問診であり、従つて、担当医師は予防接種に当り問診義務を有するものと云わなければならない。

しかしながら、証人田島の証言によれば、同人は保健所におけるインフルエンザや日本脳炎の予防接種に多くの経験を有し、接種に当つては常に小児の身体の具合について問診しており、本件の接種当日においても同様の問診を行つていることを認めることができ、このことから、本件の場合においても訴外雄一について、同様の問診を行つたであろうことが推認できる(証人伊藤千枝子の証言および原告庄子本人尋問の結果のうち、右認定に反する部分は採用しない。)。しかるに、原告庄子本人尋問の結果によれば、同人は訴外雄一の身体の工合について何等か異常のあること、例えば前記認定の接種前日にやや軟便であつたこと(右軟便が瀘胞性大小腸炎によるものであるかどうかは明らかではないが)について、訴外田島に申出なかつたことが認められる。以上のとおりであるから、訴外田島について問診義務違背の過失を認めることはできない。

三  原告は赤羽保健所長訴外山崎悦の過失を主張する(請求原因4(二))が、右訴外人の過失は訴外田島の過失の存在を前提とするものであることはその主張自体から明らかであるところ、訴外田島について過失の存在を認めることができないことは前記二認定のとおりであるから、訴外山崎の過失もまたこれを認める余地のないことは明らかである。

四  以上に判示したとおりであるから、その余の点につき判断するまでもなく原告らの被告に対する本訴請求は理由がないからいずれも棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(別紙) 本人の喪失利益

〈省略〉

〈省略〉

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